中央公論2003.8
8表紙
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覚醒剤・偽札・不審船・・・・組織犯罪高度化の10年を追う

金正日という悪夢は日本の闇社会が育てた 岡部匡志(読売新聞東京本社社会部記者)

p54~57
90年代の半ば、つまり金正日による権力の継承以降、北朝鮮は急速に日本の闇社会に進出した。覚醒剤、偽札などの巨額の収益は核開発にも流れていると指摘されている。しかし、両者の交わりは深く、遮断は容易ではない。

  日本最大の運河「兵庫運河」が流れる神戸市長田区の市街地を歩くと、あちこちに点在する木材加工工場から、かすかに木の香りが漂ってくる。明治以来、神戸 港の発展に大きく貢献してきたという兵庫運河は、今は貯木場や貨物の荷揚げ施設として利用されるのみで、水面に無数の丸太が浮かぶ光景は、どこか昭和初期 の面影を残している。そんな長閑な港町で暮らす75歳の男性が、読売新聞の取材に重い口を開いたのは今年3月のことである。

組織的非合法活動の長い軌跡
 「年に二回、それぞれ少なくとも10億円ずつは北朝鮮に送っていた」ーーこの男性は在日朝鮮人グループの非合法活動に加わっていたことを明かした上で、何かを決意したように巨額の資金を北朝鮮に不正送金していた自らの体験を語り始めた。

  われわれがこの男性にたどり着いたのは、日本人拉致事件の取材がきっかけだった。1978年、神戸市東灘区のラーメン店で店員をしていた田中実さん(当時 28歳)が突然、ヨーロッパに旅行に出ると言い残して行方を絶った。兵庫県警が当時のラーメン店の経営者の事情聴取に踏み切ったところ、この元経営者は、 神戸を拠点にする在日朝鮮人の非公然組織が存在していたことを指摘し、こう答えたのだという。「組織の最高幹部だった男に聞いてくれ」

 この組織こそ、1970年ごろに結成され、朝鮮労働党の直接の指揮下にあったとされる「洛東江(ラクトンガン)」だったのである。兵庫県警は、この最高幹部の行方を捜したが、田中さんの失踪から20年以上も経過しており、国内にいるかどうかすらわからなかった。だが、代わって洛東江の当時のメンバー5、6人が今も国内で暮らしていることを突き止めた。問題の男性もその一人だった。

 では、この男性はいったい、最高幹部からどんな指示を受けていたのか。われわれの問いに、男性は「1970年ごろから7、8年ほど、裏金の送金を担当していた」と語った。在日朝鮮人が経営する企業に、脱税をさせて、北朝鮮に送金する巨額の資金を作り出す任務だったというのである。

  この男性は在日2世で、国立大の経済学部を卒業後、関西地方の金融機関に勤務し、そこで企業会計や税務の実務を学んでいる。その数年後に、金融機関を退職 して洛東江に入ると、最高幹部から、税務の知識を生かして大阪や尼崎などでパチンコ店を経営する在日朝鮮人の経営者たちに脱税を指南して回るよう指示され た。そして、在日朝鮮人の経営者たちが脱税で浮かした売上金を回収しては、ボストンバッグに詰め、新潟西港に着いた北朝鮮の貨物船「万景峰号」まで運んでいたのである。その運搬には護衛まで付き、男性が洛東江に所属していた間に、100億円以上は送金していたという。

 今は同胞たちに北朝鮮への送金をやっていたが、間違っていたと思っている。あの金は、テポドンの開発か何かに使われたのだろう。結局、私たちの活動は、祖国のためにならなかった」

  1959年に日朝両赤十字による在日朝鮮人の機関事業が始まって以来、日本各地に入港する北朝鮮の貨客船を利用して、年間4000人前後の渡航者が北朝鮮 を訪問してきた。外為法では、こうした渡航者が100万円以上の現金を持ち出す際には、届け出を義務づけているが、各地の税関は、持ち出される現金が一体 いくらなのかほとんどチェックしてこなかった。

 こうした不正送金を許してきた背景には、民族差別問題を意識するあまり、税関や入管当局 が、過度な配慮をはたかせていたことが指摘されている。こうした事実が公然と批判されるようになったのは、昨年9月に金正日総書記が日本人拉致を認めてか らのことだ。だが、その不正送金の原資は一体どこから来ているのか。誰がどうやって集めるのか。実は、その実態は必ずしも明らかでない。北朝鮮に不正送金 するため、巨額の脱税マネーを回収したと証言した元洛東江メンバーはむしろ珍しいケースだと言える。

金正日登場後、組織犯罪へ進出
 「アングラマネー」に頼る、北朝鮮経済のこうした傾向は、90年代に入って一気に加速する。東西冷戦の終結が、北朝鮮を苦境に追い込んだためだ。

  朝鮮戦争以後、38度線を隔てて韓国・在韓米軍と対峙する北朝鮮に対して、ソ連は、石油を安く供給するなど、安全保障の観点からその経済体制を支えてき た。ところが、80年代後半から90年代前半にかけて、ソ連を筆頭とする旧東側諸国が次々に体制崩壊し、社会主義陣営は消滅。旧ソ連からの石油供給は、そ れまでの「支援」ベースから、純粋な「経済行為」に切り替わり、これといった外貨獲得手段を持たない北朝鮮の石油購入量は、90年の40万トンから、91 年には4・2万トンへと激減した。ソ連と並んで、北朝鮮を支援してきた中国も、自国の経済発展を優先し、距離を置き始めた。

 ドルや円を獲得するためには、手段を選んでいられない状況に追いつめられた北朝鮮。そこで、手っ取り早く現金収入を得ようと、ノドンなどの兵器輸出や、スーパーKに代表される偽ドル製造が本格化。さらに、今や日本が最大の得意先になっている薬物密輸の規模が拡大した。

  韓国の情報組織「国家情報院」によれば、北朝鮮におけるケシ生産は、旧ソ連の崩壊とともに急増し、92年から93年にかけて、ケシの生産面積はそれ以前の 十倍にも拡大したという。今年5月、米上院で証言した元北朝鮮を統括するようになったという。公安当局幹部は、「薬物は金総書記の直轄事業。その利益は、 すべて金総書記の手元に届くはずだ」と指摘する。

 実際、金総書記の権力継承と軌を一にするように、日本では不気味な動きが始まっていた。
「最 近、妙にきれいなシャブが多くなっている」。薬物捜査を担当する全国の捜査員たちの間で、国内で出回っている覚醒剤をめぐって、そんな情報が広がり始めた のは1995年ごろのことである。各地の警察が押収した覚醒剤は1980年代まで、ありあわせのビニール袋や新聞紙の切れ端で適当に包んだものが多かっ た。ところが、90年代も半ばをすぎると、正方形のビニール袋に小分けにされた純白の覚醒剤が目立つようになった。内容量も、10グラムずつといったキリ のいい単位になっており、ゴミやチリなども混じっていない。機械による流れ作業で正確に計量され、包装されていることをうかがわせた。

  全国の警察の科学捜査部門が、こうした覚醒剤を分析すると、さらに興味深い共通点が浮かび上がった。従来、せいぜい90%だったメタンフェタミンの純度 が、90年代後半に出回り始めた覚醒剤では、99%近くなっていたのである。もちろん、こうした覚醒剤は、常習者たちから「よく効く」として高値で取り引 きされる。そして警察当局が、こうした覚醒剤が北朝鮮から持ち込まれていると気づくまでには、それほど時間はかからなかった。

②に続く

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