オウム帝国の正体
一橋 文哉 
新潮社
2000-07

p192~p194
 村井を刺殺した徐の周辺を聞き込み取材してみると、意外な人脈が明らかになった。
 徐が犯行直前まで住んでいた家の所有者である女性が経営するクラブに、教団幹部で早川派と見られる中田が頻繁に出入りしていたことは前述したが、その女性の姉がかつて同居していた相手が、実は北朝鮮の大物スパイ、辛光洙であったのだ。
 辛とはどんな人物か。
  韓国安企部の捜査資料によれば、辛は1929年、在日朝鮮人の五男として静岡県で生まれ、まもなく家族とともに帰国し、朝鮮戦争時には北朝鮮側の義勇軍に 参加した。その後、ルーマニアのブカレスト工業大に留学し、60年に卒業、帰国後は科学院機械工学研究所に勤め、結婚して一男三女ををもうけた。
  労働党入党は52年。勲功メダルを授与されるほど優秀な党員で、71年に対南工作員に抜擢され、スパイ教育を受けた後、73年に日本に密入国。大阪や東京 を中心に、在日同胞をオルグするなど暗躍した。80年には、日本人コックを言葉巧みに宮崎県の青島海岸に誘い出し、待ち構えていた工作員の船で北朝鮮に拉 致し、以後はそのコックになりすまして活動していた。
 その前後、石川、富山両県の海岸から北朝鮮に向け六回にわたり密出入国を繰り返し、85年2月、ソウルに潜入したところを安企部に逮捕された、という凄腕のスパイなのである。
 辛は一時、その女性の姉と同居していたばかりか、女性のクラブにもレジ係として勤めており、北朝鮮関係者と見られる人物が出入りしたこともあった。

 また、徐は在日の北朝鮮出身者がつくる主体思想研究会の一員であったことが分かった。しかも、徐の友人で、同じ家で暮らしたこともある男性の父親は、朝鮮総連の幹部であることも判明した。さらに、その人脈を辿っていくと、何と、長官狙撃事件で名前が囁かれた北朝鮮人民軍偵察局員の金らしき人物が登場してくる、というのだ。
 徐は果して、北朝鮮の工作員と関係があるのだろうか。
  「徐の生い立ちから犯行までの足跡を辿ってみると、高校を中退後に一時、行方が分からない時期が出てくる。本人はもとより、肉親や友人、知人らを事情聴取 してもハッキリしないし、公式には海外に出た形跡もないんだ。彼がこの間、何をしていたかは非常に興味がある。その後で彼が韓国、そして北朝鮮の若者たち と親しくなっていることも気になるところだ」
 そう話すのは、公安関係者。さらに、こう続ける。

 「その後の調べで、オウム真理 教は単に麻薬や武器類を金で買っていただけではなく、日本の重要資料、例えば、自衛隊員の信者から入手した軍事関係の資料とか、電力・建設会社関係者の信 者らから手に入れた原子力発電所関係の書類などを、北朝鮮に売っていた疑いが出てきたんだ。こうした重要書類を集めるのは、村井の仕事だったようで、彼は ある意味では早川以上に、オウムと北朝鮮とを繋ぐ”キーパーソン”だった可能性がある」

 村井が麻原の支持を幹部や信者に伝える役目を務 めていたため、彼の死で麻原の事件への関与を立証するのが難しくなったことは既に述べた。が、彼は早川や上祐がロシアに去った後、暴力団との交渉から北朝 鮮との窓口まで、ほとんどすべてを一手に引き受けており、どこから狙われても不思議ではなかったことになる。

 「まだ、ほかにも三十兆円と言われるパチンコ利権というのもある。暴力団、北朝鮮、そして警察・・・・とくれば、パチンコしかないだろう。そこにちゃんと、オウムも絡んでいたし、早川の失脚後、その”危ない接点”役を務めたのが村井だったんだよ」(ある企業舎弟)

 パチンコとオウム真理教ーこの全く次元の違う話に、いくつかの接点があったのは事実である。
 警察が進めてきたパチンコの換金合法化に対し、反対運動を展開してきた都内の政治団体代表の周囲にはオウムに繋がる人物が多数蠢いている。
 彼を崇拝しているというコンサルタントは、教団の顧問弁護士だった青山吉伸が逮捕前、頻繁に電話をかけ、相談を持ちかけていた人物だった。
  また、彼らの周りには、金丸や中曽根といった政治家たちをはじめ、早川とロシア、北朝鮮の接点に登場した日本ウクライナ文化経済交流協会理事長のM、中国 米密輸事件で逮捕されたF社社長、そして、パチンコ業者を支援し、早川の北朝鮮入りをサポートしたと見られる北朝鮮系実業家・・・・などの名前が登場して くる。
☆☆☆☆☆☆

【wiki】チュチェ思想研究会
チュチェ思想研究会(チュチェしそうけんきゅうかい)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党の公式政治思想であるチュチェ(主体)思想を信奉する北朝鮮国外の団体。略称は「チュチェ研」。
ここでは、特に断りがない限り、日本国内の組織について述べる。 現在のチュチェ思想研究会全国連絡会の会長は、佐久川政一沖縄大学名誉教授

概要
チュチェ思想国際研究所事務局編『チュチェ思想国際研究所』によると、1969年4月にアフリカのマリ共和国で組織的に学ばれたのが、チュチェ思想海外進出の嚆矢とされている。

日本においては、1971年に尾上健一が設立した「群馬朝鮮問題研究会」が起源である。その後、日本各地に「チュチェ思想研究会」が多く設立された。1974年には、全国組織としてチュチェ思想研究会全国連絡会が設立されている。大小さまざまな「チュチェ研」があるが、その中でも最大規模の団体が日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会である。

地 域単位、職場単位でチュチェ研が組織された。特に影響を受けたのは、日本社会党(現社会民主党)と社会党の支援団体であり、社会党の朝鮮半島政策にも大き な影響を与えることになった。なお日本共産党はチュチェ研を「金日成盲従集団」と定義づけ批判していたため、共産党に対する影響力はない。

主体思想研・日朝国交促進(徳島)1
主体思想研・日朝国交促進(徳島)2http://juche.v.wol.ne.jp/news/j0103-3.pdf(pdf注意)
「日朝国交促進と自主・平和をめざす全国セミナー」@徳島グランドホテル

これは「チュチェ思想研究」というHPにあった文書で連絡先がチュチェ思想国際研究所となっているので
チュチェ思想研究会とチュチェ思想国際研究所は無関係ではないのだろう

(徳島汚鮮中の原因は仙石由人議員でしょうかねえ)
徳島汚鮮中:お遍路は既にパクリ済次は阿波踊り 

ということは
武者小路公秀
エセ人権活動家 武者小路公秀 
武者小路公秀氏はチュチェ思想国際研究所代表

武者小路公秀氏代表の人種差別撤廃NGOネットワークのアンケートを有田芳生議員が各議員に送付
公式ブログにも掲載
人権擁護法案のために非・国民が必死な件 


有田芳生議員は徐裕行氏と仲良く対談
19
有田芳生の広げる波紋

また北朝鮮とオウム真理教と民主党・有田芳生議員を繋ぐ線が見つかった

余談
前進・反原発・佐久川政一
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no13/f2591sm.htm
中核派機関紙「前進」に佐久川政一氏の名前が
「前進」と言えば山本太郎議員が出ていましたねえ
山本太郎中核派
山本太郎当選だと?

佐久川政一氏の名前の他に「とめよう戦争への道!百万人署名運動」もある
謎の住所 新橋2-8-16石田ビル
  有田芳生の広げる波紋

【まとめ】
▼徐裕行氏は主体思想研究会に所属していた
▼主体思想国際研究所・武者小路公秀氏のアンケートを有田芳生議員が送付・ブログにも掲載
▼有田芳生議員は上祐史祐氏、鈴木邦男氏、徐裕行氏と対談している
▼主体思想研究会全国連絡会会長・佐久川政一沖縄大学名誉教授は中核派機関紙「前進」に名前アリ